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2017-06

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会津街道探索ウォークその2(2016.6.11-12)  1日目  - 2017.06.30 Fri

「いまさらなんですが、、、、昨年5回シリーズで開催した会津街道探索ウォークシリーズ。
フェイスブックの方へは速報版を掲載しましたが、しっかりした報告はまだでした。
ということで、ブログの方へ詳細を載せていこうと思います。よろしくお願いします。」

と、書いて第1回目の報告を書いてからもうすぐ半年。。。
「忙しい」と言い訳しつつ、途切れてしまって申し訳ありませんでした。
第2回目以降の記事がみつけられない、とお問い合わせをいただき、「すいません、書いてないんです」、と(苦笑)。

ちょっとだけ時間とれたので、第2回の初日の模様をアップします。


会津街道探索ウォークその2  2016.6.11-12
~かつての街道随一の難所諏訪峠越え、そして街道最大の宿場、津川宿を巡る旅~

第1日 新谷~行地~諏訪峠~柳新田~角島(約8.5km)

第2回のスタートは、前回一回目のゴール旧新谷木橋跡北詰の対岸、南詰からです。
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こちら側もまだ新谷(あらや)宿。全開に引き続き地元郷土史家、吉澤荘一さんにガイドしていただきました。

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CP51 安部理非内はじめ金上氏家臣の墓
第1回のラストに新宮氏の「首の宮」を見学した新谷寺。川を挟んだ反対側にあるここ南村にも新谷寺の墓地があり、その中に金上氏家臣の墓がいくつかあります。
またそれ以外にもあの誰でも知っている有名な戦国武将に関係する人物に関する碑文もあり。これについては吉澤さんに現場で解説していただきました。

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CP52 えのき様
新谷集落内にあるこの祠は「えのき様」と呼ばれ、榎がそばにあったのではないかと思われます。石碑の側面の文字は「暦」の字の上の文字が削れていて読めず、「明暦」か「宝暦」かわかりませんが、なんとなくうかんむりが読めるような気がするので、「宝暦」かもしれません。
ちなみに明暦だとすると1655~1657年、宝暦だとすると1751年~1763年です。

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CP53 旧道 腰掛場所跡
草倉道から現代の車道と交差し、左手に旧道が続いています。そこを降りるとすぐに大きな岩が右手にあり、腰掛けて休み場所になっていたとのこと。近くにはのどを潤す清水も湧いているとか。

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CP54 旧道 草倉道分岐
かつて阿賀町北東、旧鹿瀬町に、草倉鉱山という江戸時代会津藩随一といわれた銅山がありました。採掘は大正3年まで続き、一時は6000人もの人々が働いていたそうで、その富がのちに足尾銅山の開発につながったと言われています。
その草倉鉱山への道と越後街道の分岐がここになります。

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CP55 あねさ松跡
かつて胴回り7m以上もある松の巨木があったそうです。伝説によると、街道を歩いていた娘がここで襲われ、殺され埋められた場所で、あとでその場に松が植えられたとか。そのせいか、松のそばの田んぼをクワで耕していたら、髪の毛が巻き付いてきて恐ろしくなり、耕作をやめたとのこと。
 「貞子」を地で行くような怖い話ですね。実際この松が生えていたころには子供たちは大人から「その松を傷つけてはならん!血が出てくるぞ」と言われていたとか。

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行地に到着。
集会所をお借りして昼食。そしてここ行地の旅籠「藤屋」を営んでおられた方の末裔、阿部昭八さんにこの地域のお話をレクチャーしていただきました。

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CP56 旧山本屋
明治以後の建物ですが、格子など、往時の雰囲気を感じられる部分がそこここに残っています。敷地の前の街道沿いにはかつて巨木があったそうです。

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CP57 旅籠「藤屋」跡
「富士屋」と表記されている文献も多々あるのですが、初代~四代までは「藤屋」だったそうで、ここでは「藤屋」で表記しました。
戊辰の役の際、津川を突破できない山県有朋はこの藤屋に1か月近く宿営しました。そのせいか、村内の旅籠の多くは戊辰の役の際に焼失してしまったのですが、藤屋は戦禍をまぬがれていました。
しかし、2013年11月に火事で燃えてしまい、今はありません。築300年を越える古い建物だったそうで、残念でなりません。
ただ、山県らが宿営していた際に使った大きな釜は今も現存しています。
現在「藤屋」のご当主阿部さんは「山本屋」のほうへお住まいで、藤屋にあった驛所の看板など様々な古く貴重な物を見せていただきました。

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行地をあとにし、いよいよ諏訪峠へ向けて本格的な登り。

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CP58 行地一里塚
 二基一対の完形が現存する貴重な一里塚です。高さ3m、円周30m。

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CP59 中ノ茶屋跡
 諏訪峠の7合目付近、このあたりにふもとの人が商売を行っていた「中の茶屋」があったと言われています。ここは諏訪峠の茶屋と違い、冬場は閉鎖するような簡易的な施設だったようで、団子などを販売していたそうです。

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CP60 大ブナ           
街道沿いに樹齢300年以上の大きなブナの木があったのですが、つい最近倒れてしまって枯れた幹だけが残っています。
その昔、参勤交代の際、村上藩、新発田藩の殿様が、この木の下で休憩したと言われています。

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ついに諏訪峠が見えました。

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CP61 諏訪峠 松陰詩碑・井戸跡
諏訪峠は、かつて犬吠(いぬぼえ)峠といったそうです。応永9年(1402)の葦名氏VS新宮氏の戦の時に諏訪明神があらわれて、葦名の勝利を予言したという伝説があることから、葦名盛政は深くその神徳を信じ、信州諏訪から諏訪神社を勧請、この峠にも仮泊して一社を建てたことから、「諏訪峠」と呼ぶようになったそうです。
吉田松陰、十返舎一九、山県有朋などがこの諏訪峠を越えています。
松陰は嘉永5年(1852)2月8日、23歳のときにふもとの人の反対を押し切って真冬の諏訪峠を越えています。前日は焼山宿泊まり。この日津川を通って、雪の諏訪峠を越えて綱木まで30㎞くらい歩いています。すごいですね。
そしてこの諏訪峠を越えたときに松陰が詠んだ漢詩を刻んだ詩碑が建っています。その内容は「諏訪嶺は高く、雲を凌ぐほどで、よじ登らなければならないほどだ。弓のように背を曲げて上ると、腰も折れんばかり。胸も喘ぎ、肌も汗で濡れ、脚も疲れ切ってしまった。時々烈しい風が雲を巻くようにして起こり、髭は凍り、顔は叩かれ、肌には冷たい針が突き刺さる。」と。さしもの松陰もこの雪中軍は相当きつかったんですね。さらに、「やっと頂上を極め、まわりを見渡してみると、快感で下あごがはずれるほど大笑いした。…このような困難は未だかつて経験したことがない。困難が益々大きくなればなるほど、珍しいことに直面する。地元の人が盛んに雪中行の困難を言っていたが、困難の中に奇特を知ることが出来るのは誰だろうか。」と、結んでいます。この厳しい諏訪峠越えの経験が、その後松陰に大きな影響を与えたと言われています。
山県有朋は、戊辰の役の際、津川で会津軍が船を引き揚げてしまって阿賀川を渡れなかったので、船大工の手配のため二度もこの峠を越えて新発田へ向かっています。山県はこの遠征にあたり、師匠松陰の「東北遊日記」を熟読して、諏訪峠の状況を学んでいたと言われています。その後山県が書いた従軍記「越之山嵐」の中では、そのせいか「諏訪峠越えは思いのほか簡単だった」と記されています。
十返舎一九がこの峠を通ったのは、文化11年(1814)のことです。
 「この峠ほど高く難儀なるはなし、暑い時分でも峠は寒し」
 「茶屋2軒、砂糖餅と雑煮餅あり」
                              十返舎一九「諸国道中金の草鞋」

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諏訪神社跡

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CP62 茶屋清水
かつて茶屋で使われた井戸の跡とともに、会津街道を津川側に少し下ったところには、茶屋で使われたといわれている水が今もこんこんと出ています。

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これは結構貴重な場所で、後世になって自動車の通れる道を作った時に道を削ったおかげで、石畳の断面をみれるようになっています。

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見事な石畳群。
阿賀町の町史跡に指定されています。

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CP63 柳新田一里塚
柳新田の集落から1.5㎞ほど峠方面へのぼったところにこの一里塚はあります。一対しっかり残っているのはここと福取、そして行地ぐらいで、非常に貴重なもので、さらにこの柳新田のものは他に類を見ないほど巨大で立派です。

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行地から柳新田の間はとてもヤマビルが多く、時季的にも6月、参加者には事前にかなり脅し気味にアナウンスしていたのですが、当日も含めこの日の一週間前くらいからあまり雨が降らず、ほとんどと言っていいほど見られませんでした。
僕は学生時代から見飽きるほどつきあっているので(苦笑)、ほっとしていたのですが、参加者の数人から「怖いもの見たさでなんとかその姿だけでも見てみたい」と言われ、、、探しました。

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ヒルはすぐには吸い付かないので、手に乗せて観察することができます。
それも見たことない方々にはびっくりだったようで(笑)。

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CP64 柳新田
柳新田では、集落にお住いの青木一子さんに解説をしていただきました。

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CP65 切腹石
町文化財となっている5区間の石畳の、№3区間の北端(諏訪峠側)付近にある平らな岩で、柳新田の青木堅吾氏の話では、この石の上で切腹させられた人がいたと伝わります。

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第2回の初日はこの日の宿泊地、清川高原保養センター近くのこの地点でゴール。
温泉に入ってから、恒例の懇親会です。

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清川高原保養センターのメニューの中でイチオシ。
このカレイの唐揚げは骨まで食べれて美味です。

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乾杯の後、恒例の全員の自己紹介。
一周する頃に飲み放題プランのリミットが来るパターンでした(笑)。

2日目に続きます。


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いいでの集い まだまだ参加者募集中です! - 2017.06.28 Wed

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昨日行われた第2回越後裏街道花立峠ウォークの写真をファイスブックのほうへアップしました。 - 2017.06.25 Sun

昨日行われた第2回越後裏街道花立峠ウォークの写真をファイスブックのほうへアップしました。
よかったらご覧ください↓
こちらをクリック



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7月2日 越後口戊辰の役史跡巡り - 2017.06.14 Wed

7月2日(日)に「越後口戊辰の役史跡巡り」を行います。

西会津町内の戊辰の役(会津戦争)ゆかりの地を辿ります。
講師は昨年の会津街道探索ウォーク第5回でもおなじみの石田明夫先生。
バスで町内を巡り(一部徒歩)、要所で石田先生に解説をしていただきます。

1.日時
7/2(日) 西会津町役場駐車場9:00集合 
募集人員20名  参加費無料(要予約) 昼食は各自持参

2.内容
容保が滞在した野澤の13日間。
西郷頼母が西出丸の埋蔵金約60万両を隠した経緯。
白虎隊隊長日向内記が埋蔵金を隠した場所。
会津藩が埋蔵金を船で運べなかった理由。
滑沢の戦い、平明の陣跡、陳ケ峯峠・新選組の戦い、八重窪の陣跡、など。

問い合わせ・お申込先
にしあいづ観光交流協会(担当:堀口)
0241-48-1666
nishiaizu-kanko@nct.ne.jp

※本イベントは平成29年度福島県地域創生総合支援事業(サポート事業)補助金を使って運営しています。


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プロフィール

にしあいづ観光交流協会

Author:にしあいづ観光交流協会
〒969-4406 福島県耶麻郡西会津町野沢字下條乙1969-26 道の駅よりっせ内
TEL:0241-48-1666
FAX:0241-45-3102
nishiaizu-kanko@nct.ne.jp

HP 
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英語版ブログ
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