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2016-11

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「幻の黒沢探検」ツアー(第2日目) - 2016.11.15 Tue

黒沢探検、二日目の模様です。

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2日目は黒沢公民館前からスタート。

黒沢学校の足跡
明治21年山口に下谷簡易小学校開設、同年に黒沢分教室が開設されました。黒沢学校は4年生まで、その後は各自の希望で西方小学校(杉峠を越えて三島町へ6kmの道のり)か尾野本小学校(野沢方面へ12kmの道のり)かを選べました。
大正14年現在地に下谷第2分教場として移転、新築されました。今回のガイドの樽井さんは昭和9年に入学、そのときは複式学級で先生3人、全校生徒94人、小学高等科から前述の12km離れた尾野本小学校へ通ったとのことです。
その後、昭和34年に黒沢小中学校として独立、昭和52年に現在の新校舎となり(全校生徒134人)、平成9年に閉校となりました。
校庭から西へ目を転じると、目の前にあるのが高力山(たかつとやま)。北東の斜面がえぐれていてさらにすそ野が平らになっているのが見て取れます。これが1611年の慶長大地震の際、山体崩壊を起こした爪痕です。

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昨日ハッスルしすぎて、声が枯れたというメインガイド樽井さん。でもあいかわらずお元気です。

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これが何に見えるか? 論争は白熱(笑)。
カエル?トカゲ?ラクダ?ウシ?

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これが何に見えるか?
もちろんウシでしょ!(笑)

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西会津珍百景候補ですね(笑)。

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これがウワサの?ゴサンパチ商店。

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常岩坊跡
黒沢村には平安時代初期の頃から室町時代後期頃まで約740年ほど続いたと思われるお寺が存在しました。そのお寺の名前は常岩坊です。
徳一が会津に築いた5つの高野山のひとつが御坂山大高寺という寺院なのですが、その大高寺には36の坊舎があったといわれ、常岩坊はその36の坊舎のひとつでした。黒沢には他地域にはあまりない早乙女踊りが今も伝わりますが、これは常岩坊の祭神、伊佐須美の神様のお田植え祭のときの踊りとして伝えられたものです。
長く続いた常岩坊も天文12年(1552)、大高寺とその36坊舎を攻めた山ノ内氏によって滅ぼされました。

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蝦夷神社
 蝦夷神社(えぞじんじゃ)。この名前を聞いたことある方はなかなかいないと思います。それもそのはず、図書館で全国の神社を調べまくってみましたが、今のところ日本で二ヶ所しかその存在を確認できませんでした。そのひとつがここ黒沢にあるのです。黒沢の蝦夷神社については、西会津町史の中の「野沢郷毎村委記」以下の記述があります。
「黒沢村 蝦夷権現祠有リ。是ハ源義経公ヲ祀ル。相伝テ曰ク義経公ノ臣某、文治の頃此ノ所ニ忍ビ漂泊シテ暫ク蟄居ス」
黒沢では義経の家臣だった鈴木三郎が蝦夷神社の祭神に源義経を祀ったと語り継がれているので、それとほぼ一致しますが、「蝦夷権現」「祠」と書かれているのでその時点では石の祠だったのかもしれません。
古くから黒沢村に存在したのは、今和泉・伊佐須美神社、そして旧新屋敷・熊野神社の二社でした。その二社を合祀して蝦夷社としたとか。延享元年(1744)野澤の大工・橋谷田吉兵衛により木造の大きな社が建てられたそうで、その頃に蝦夷権現から今の蝦夷神社へとなったと思われます。

また、日本で黒沢以外にもうひとつだけ確認できた山形県南陽市にある蝦夷神社についても以下に書いてみます。
まず、明治25年発行の「赤湯温泉誌」には
「大字三つ間通りにあり安倍貞任の霊を祀ると云う」とあります。黒沢が義経なら、南陽市はさらにさかのぼって前九年の役の時代。ともに源氏と敵対する「蝦夷(えみし)」側という共通点は興味深いですが、両者に関連があるかどうかは現時点ではわかりませんでした。
また、平成6年発行の「南陽東置賜神社参拝のしをり」には
「天明2年(1782)創建。元円蔵権現と称した。別名、納豆権現とも呼ばれ、風邪を引いたときや咳の出る時は納豆を納めて参拝すると治るという」とあります。納豆はともかく「元円蔵権現と称した」という記述が気になります。もしかしたら「えんぞう」がただ「えぞ」に変化して「蝦夷」があてがわれただけという可能性も考えられるからです。

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蝦夷神社前のお清めの水場の水はとにかくおいしい!!!西会津名水百選候補(笑)

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蝦夷神社本堂へは苔むした石段を登っていきます。

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本堂から降りてきたところでこの日のティータイム。

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一行はいよいよ20年以上ぶりに開通させたいにしえの旧西方街道、杉峠へ。

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オシメサマ

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天然ナメコ、結構でてました。

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旧西方街道 杉峠
西方街道は越後街道から御蔵入街道に通じる街道で、かつては越後から南山お蔵入へ塩を運ぶ重要な「塩の道」でした。杉峠をはさんで両側にある黒沢と現三島町側の西方は昔から縁故関係が深く、生活風習も共通する点が多いです。
「塩の道」として往来は多かったようで、それにくわえ大山まつりの時は西方方面から杉峠を越えて黒沢に入り、橋本屋・吉野屋で休み、大滝を通って笹峠経由で直接本殿の杉並木に至る道がよく使われていました。

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杉峠鉱山
旧西方街道の杉峠にある鉱山で流紋岩中の石英質および粘土質網状体で100m~150mの範囲を占め、下部は黄鉄鉱および黄銅に富みますが、上部は酸化して金鉱となり、一時栄えた金山の一つです。また、御蔵入街道に通じる重要な峠道でもありました。金鉱石は索道で西方側に運びました。

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長谷川主殿と舘の越
横田(現金山町)を本拠地とした山ノ内一族の「山ノ内七騎党」のひとり山ノ内氏信の家臣、長谷川主殿(もんど)が蝦夷神社の南に館を構え、黒沢一帯と西蒲原等を支配した、とあります。主殿は山ノ内氏滅亡後には武士の身分を捨て、黒沢の地で田畑を耕し、生涯を終えました。
(参考)山ノ内七騎党→①横田中丸城 ②野尻牛首城 ③川口玉縄城 ④沼沢丸山城 ⑤西方鴫城 ⑥滝谷岩谷城 ⑦桧ノ原丸山城

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ここは今回の黒沢地区メインスタッフ、長谷川主殿の直系の子孫にあたる長谷川幸男さんの出番です。

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家に伝わる御成敗式目の写真を見せてくださいました。

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西会津名瀑百選候補? 大滝。

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道路脇なのですが、なかなかの高度感。
結構のぞくのに勇気いります(笑)。

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チャレンジャー(笑)。

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最後に、今回プライベート参加してくださった福島県立博物館の仏像専門員、塚本さんによる仏像解説。

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全行程終了、道の駅よりっせに戻り解散。みなさん野沢内の思い思いの場所で昼食を楽しんでました。

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郡山バス組だけは、スタッフ堀口のとっておきの場所へちょっと寄り道。

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赤井の大イチョウ
弘和年間(1381~1384年)、黒川城(のちの鶴ヶ城)城主芦名直盛の弟、田中六郎左エ門という人がいたそうですが、この人素行が悪く、悪いことばかりしていたため、この地に閉居を命ぜられ、その後は田を耕しつつ暮らしたのだそうです。
この赤井の大イチョウはその田中六郎左エ門の家の庭木だったと伝えられています。
でも今は集落のはずれ、周囲に何もない耕地に一本だけ存在感たっぷりにたたずんでいます。
「孤高のたたずまい」は美瑛の丘の「ケンとメリーの木」以上に素晴らしく、いつまでもボーっと眺めていたい場所です。

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今回は天気にも恵まれ、ほんとにいいイベントになったと思います。
にしあいづ観光交流協会としては、今後も地域の方々と密につながり、宝を発掘し、イベント化して、多くの方に楽しんでただけるようつとめてまいります。
今後ともよろしくお願いいたします。

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長谷沼清吉さん「近世 山村の暮らし 主に山三郷大谷組高目村」を出版 - 2016.11.15 Tue

元西会津町議会議長、現寺前自然塾塾長、西会津冨士の郷会長の長谷沼清吉さんが、この度すばらしい本を発刊されました。
B5判で200ページ。
高目村の歴史、寺社仏閣、暮らしぶりなどが細かく記されています。
1冊3000円、ご興味ある方、にしあいづ観光交流協会へお問い合わせいただくか、直接長谷沼さん(0241-47-2497)へ。



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