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2016-11

ふるさと自慢館にて小学生に歴史講座 - 2016.11.30 Wed

西会津小学校の社会の授業「郷土をひらく」の中で、スタッフ堀口がふるさと自慢館にて、街道や富国論、束髪運動、石川暎作はじめ野沢の偉人について、4年生を対象に解説しました。
郷土愛を育む一助になるなら、観光交流協会として今後も学校支援事業に協力していきたいと思います。



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大出戸峠調査 - 2016.11.29 Tue

ウォークイベントとしての可能性を探るため、西会津町出戸から阿賀町荒沢へ抜ける「大出戸峠」ルートを調べに行ってきました。
案内は昔この道を何度も通っている、「世界一のコメ農家」、出戸の三瓶鉄江さん。


出戸のさらに奥、もう県境がすぐそばの大出戸から歩きはじめました。

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今の時期だから突破できましたが、イベント化するなら草刈り必至の地帯。

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ここが「大出戸峠」。
今は往来もなく、看板も祠もなく、ひっそりとしていました。

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新潟県側に入ると石神沢支流の源頭から沢沿いに道は続いています。

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天然ナメコ。

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うれしい山の幸です。

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このルートもそこここにクマの痕跡が。

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沢には小さいながら結構イワナの魚影がありました。
鉄江さんはその昔、この沢でよく釣りをしたそうです。

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出戸~荒沢間は3~4kmしかなく、1時間もあれば歩けます。
峠道としてはとても魅力的な景観ですが、イベントしてはスタート地点を出戸よりももっと下にするか、万治峠か、または楢ノ木峠をセットにするか、ちょっとアレンジが必要と思いました。

もう少し周辺を調べてみます。

第2回会津(越後)街道サミットが道の駅「阿賀の里」で行われました。 - 2016.11.29 Tue

昨年、第1回を西会津町で開催した「会津(越後)街道サミット」。
昨年の模様→こちらをクリック

今年は場所を阿賀町に移し、第2回のサミットが開催されました。
西会津町からは日本考古学協会会員の佐藤光義さんと、堀口が発表しました。
会場には170人を越える方がご参加くださり、ほぼ満席、大盛況でした。

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会場準備風景。

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開会。

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主催者挨拶  新潟県新潟地域振興局 高橋豊振興局長

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祝辞  西会津町 伊藤勝町長


【 会津街道探索ウォーク実績報告 】  にしあいづ観光交流協会 堀口一彦

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【 石畳の保全と管理 】  阿賀町教育委員会 遠藤佐氏

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【 殿様街道と私 】 会津街道ファンクラブ 神田久氏

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【 会津と越後を結ぶ阿賀野川流域の縄文文化 】  日本考古学会会員 佐藤光義氏

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午後は特別講演
【 安心な街道歩きの極意 】 日本登山インストラクターズ協会理事長 岩崎元郎氏

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次回第3回は再び西会津町で開催予定です。

西会津 十三名山と八峠 選定発表会 - 2016.11.21 Mon

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「幻の黒沢探検」ツアー(第2日目) - 2016.11.15 Tue

黒沢探検、二日目の模様です。

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2日目は黒沢公民館前からスタート。

黒沢学校の足跡
明治21年山口に下谷簡易小学校開設、同年に黒沢分教室が開設されました。黒沢学校は4年生まで、その後は各自の希望で西方小学校(杉峠を越えて三島町へ6kmの道のり)か尾野本小学校(野沢方面へ12kmの道のり)かを選べました。
大正14年現在地に下谷第2分教場として移転、新築されました。今回のガイドの樽井さんは昭和9年に入学、そのときは複式学級で先生3人、全校生徒94人、小学高等科から前述の12km離れた尾野本小学校へ通ったとのことです。
その後、昭和34年に黒沢小中学校として独立、昭和52年に現在の新校舎となり(全校生徒134人)、平成9年に閉校となりました。
校庭から西へ目を転じると、目の前にあるのが高力山(たかつとやま)。北東の斜面がえぐれていてさらにすそ野が平らになっているのが見て取れます。これが1611年の慶長大地震の際、山体崩壊を起こした爪痕です。

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昨日ハッスルしすぎて、声が枯れたというメインガイド樽井さん。でもあいかわらずお元気です。

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これが何に見えるか? 論争は白熱(笑)。
カエル?トカゲ?ラクダ?ウシ?

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これが何に見えるか?
もちろんウシでしょ!(笑)

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西会津珍百景候補ですね(笑)。

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これがウワサの?ゴサンパチ商店。

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常岩坊跡
黒沢村には平安時代初期の頃から室町時代後期頃まで約740年ほど続いたと思われるお寺が存在しました。そのお寺の名前は常岩坊です。
徳一が会津に築いた5つの高野山のひとつが御坂山大高寺という寺院なのですが、その大高寺には36の坊舎があったといわれ、常岩坊はその36の坊舎のひとつでした。黒沢には他地域にはあまりない早乙女踊りが今も伝わりますが、これは常岩坊の祭神、伊佐須美の神様のお田植え祭のときの踊りとして伝えられたものです。
長く続いた常岩坊も天文12年(1552)、大高寺とその36坊舎を攻めた山ノ内氏によって滅ぼされました。

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蝦夷神社
 蝦夷神社(えぞじんじゃ)。この名前を聞いたことある方はなかなかいないと思います。それもそのはず、図書館で全国の神社を調べまくってみましたが、今のところ日本で二ヶ所しかその存在を確認できませんでした。そのひとつがここ黒沢にあるのです。黒沢の蝦夷神社については、西会津町史の中の「野沢郷毎村委記」以下の記述があります。
「黒沢村 蝦夷権現祠有リ。是ハ源義経公ヲ祀ル。相伝テ曰ク義経公ノ臣某、文治の頃此ノ所ニ忍ビ漂泊シテ暫ク蟄居ス」
黒沢では義経の家臣だった鈴木三郎が蝦夷神社の祭神に源義経を祀ったと語り継がれているので、それとほぼ一致しますが、「蝦夷権現」「祠」と書かれているのでその時点では石の祠だったのかもしれません。
古くから黒沢村に存在したのは、今和泉・伊佐須美神社、そして旧新屋敷・熊野神社の二社でした。その二社を合祀して蝦夷社としたとか。延享元年(1744)野澤の大工・橋谷田吉兵衛により木造の大きな社が建てられたそうで、その頃に蝦夷権現から今の蝦夷神社へとなったと思われます。

また、日本で黒沢以外にもうひとつだけ確認できた山形県南陽市にある蝦夷神社についても以下に書いてみます。
まず、明治25年発行の「赤湯温泉誌」には
「大字三つ間通りにあり安倍貞任の霊を祀ると云う」とあります。黒沢が義経なら、南陽市はさらにさかのぼって前九年の役の時代。ともに源氏と敵対する「蝦夷(えみし)」側という共通点は興味深いですが、両者に関連があるかどうかは現時点ではわかりませんでした。
また、平成6年発行の「南陽東置賜神社参拝のしをり」には
「天明2年(1782)創建。元円蔵権現と称した。別名、納豆権現とも呼ばれ、風邪を引いたときや咳の出る時は納豆を納めて参拝すると治るという」とあります。納豆はともかく「元円蔵権現と称した」という記述が気になります。もしかしたら「えんぞう」がただ「えぞ」に変化して「蝦夷」があてがわれただけという可能性も考えられるからです。

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蝦夷神社前のお清めの水場の水はとにかくおいしい!!!西会津名水百選候補(笑)

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蝦夷神社本堂へは苔むした石段を登っていきます。

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本堂から降りてきたところでこの日のティータイム。

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一行はいよいよ20年以上ぶりに開通させたいにしえの旧西方街道、杉峠へ。

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オシメサマ

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天然ナメコ、結構でてました。

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旧西方街道 杉峠
西方街道は越後街道から御蔵入街道に通じる街道で、かつては越後から南山お蔵入へ塩を運ぶ重要な「塩の道」でした。杉峠をはさんで両側にある黒沢と現三島町側の西方は昔から縁故関係が深く、生活風習も共通する点が多いです。
「塩の道」として往来は多かったようで、それにくわえ大山まつりの時は西方方面から杉峠を越えて黒沢に入り、橋本屋・吉野屋で休み、大滝を通って笹峠経由で直接本殿の杉並木に至る道がよく使われていました。

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杉峠鉱山
旧西方街道の杉峠にある鉱山で流紋岩中の石英質および粘土質網状体で100m~150mの範囲を占め、下部は黄鉄鉱および黄銅に富みますが、上部は酸化して金鉱となり、一時栄えた金山の一つです。また、御蔵入街道に通じる重要な峠道でもありました。金鉱石は索道で西方側に運びました。

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長谷川主殿と舘の越
横田(現金山町)を本拠地とした山ノ内一族の「山ノ内七騎党」のひとり山ノ内氏信の家臣、長谷川主殿(もんど)が蝦夷神社の南に館を構え、黒沢一帯と西蒲原等を支配した、とあります。主殿は山ノ内氏滅亡後には武士の身分を捨て、黒沢の地で田畑を耕し、生涯を終えました。
(参考)山ノ内七騎党→①横田中丸城 ②野尻牛首城 ③川口玉縄城 ④沼沢丸山城 ⑤西方鴫城 ⑥滝谷岩谷城 ⑦桧ノ原丸山城

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ここは今回の黒沢地区メインスタッフ、長谷川主殿の直系の子孫にあたる長谷川幸男さんの出番です。

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家に伝わる御成敗式目の写真を見せてくださいました。

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西会津名瀑百選候補? 大滝。

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道路脇なのですが、なかなかの高度感。
結構のぞくのに勇気いります(笑)。

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チャレンジャー(笑)。

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最後に、今回プライベート参加してくださった福島県立博物館の仏像専門員、塚本さんによる仏像解説。

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全行程終了、道の駅よりっせに戻り解散。みなさん野沢内の思い思いの場所で昼食を楽しんでました。

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郡山バス組だけは、スタッフ堀口のとっておきの場所へちょっと寄り道。

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赤井の大イチョウ
弘和年間(1381~1384年)、黒川城(のちの鶴ヶ城)城主芦名直盛の弟、田中六郎左エ門という人がいたそうですが、この人素行が悪く、悪いことばかりしていたため、この地に閉居を命ぜられ、その後は田を耕しつつ暮らしたのだそうです。
この赤井の大イチョウはその田中六郎左エ門の家の庭木だったと伝えられています。
でも今は集落のはずれ、周囲に何もない耕地に一本だけ存在感たっぷりにたたずんでいます。
「孤高のたたずまい」は美瑛の丘の「ケンとメリーの木」以上に素晴らしく、いつまでもボーっと眺めていたい場所です。

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今回は天気にも恵まれ、ほんとにいいイベントになったと思います。
にしあいづ観光交流協会としては、今後も地域の方々と密につながり、宝を発掘し、イベント化して、多くの方に楽しんでただけるようつとめてまいります。
今後ともよろしくお願いいたします。

長谷沼清吉さん「近世 山村の暮らし 主に山三郷大谷組高目村」を出版 - 2016.11.15 Tue

元西会津町議会議長、現寺前自然塾塾長、西会津冨士の郷会長の長谷沼清吉さんが、この度すばらしい本を発刊されました。
B5判で200ページ。
高目村の歴史、寺社仏閣、暮らしぶりなどが細かく記されています。
1冊3000円、ご興味ある方、にしあいづ観光交流協会へお問い合わせいただくか、直接長谷沼さん(0241-47-2497)へ。



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「幻の黒沢探検」ツアー(第1日目) - 2016.11.14 Mon

11月12~13日の二日間にわたって、西会津町黒沢地区で「幻の黒沢探検」モニターツアー(主催:西会津ふるさとファンづくり協議会 共催:にしあいづ観光交流協会)が開催されました。
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主に関東からご参加の方々を郡山駅でお迎えし、西会津へ直接来られた方々と西会津道の駅よりっせで合流。
スタッフをのぞく一般参加者は17名。遠くは石川県、長野県、そして栃木県、東京都、埼玉県、宮城県、福島県からのご参加。また今は東京在住ですが、スタッフ堀口のベネズエラ在住時代の友人も参加してくださいました。

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そして道の駅よりっせからバスで20分、今回の黒沢フットパスのスタート地点、旧発電所前で現地スタッフも合流、まずはスタッフの紹介。

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今回のイベントはこの方の熱い想いから始まったといっても過言でない、今回のメインガイドをつとめてくださった地元黒沢の生き字引ともいえる樽井清市さん。

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今回のイベントを陰で支えてくださった黒沢地区の方々。

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続いて、参加者ひとりひとり簡単な自己紹介。

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そして挨拶が終わると、まずは最初のチェックポイント、旧発電所跡へ。

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黒沢発電所跡
大正2年 黒沢発電所として開設。
大正5年1月8日 野沢・黒沢に電燈が灯る。(1戸に2燈、約20Wの規制あり)
大正5年6月 野沢電気株式会社(佐久間栄社長)設立、
 現在もなお、水路跡や、用水の落とし口、水路出口、タービンのあった跡が残っています。

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送水取り入れ口

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鉛採掘場
通称「なまりほっぱ」。明治末期に日本曹建株式会社によって開鉱、稼働し、青粘土系の中に良質な鉛が採掘されましたが、量的なこともあって長くは続きませんでした。

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発電所取水口
落合集落の下流、橋の下に取水口がありました。堰堤は木製で、洪水時は自動的に外れて水を流す設計になっていました。
堰堤の上の溜まりは樽井さんが小さい時は恰好の水遊び場で、馬などの水浴場でもあって共にたわむれて楽しく遊んだそうです。

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黒沢の水害
昭和31年7月14日、雨が降り続き橋を越える水量となり、消防出動命令が出て警戒態勢。
同16日7:00頃バケツをひっくり返したような大雨(360㎜)、8:00頃年寄り子供は避難を開始しました。その際つないでいた牛も放ちましたが、牛はどこかへ逃げるでもなく、ずっと人のそばに寄り添っていたそうです。
その後、危ないから大人も引き上げろと連絡あったものの樽井さんたちは逃げ切れず、向いの渡部利美さん宅に駆け込んで危機一髪助かりました。その夜は暗闇の中、濁流の音だけ、ときたま稲妻の光で見える流れた家、など眠れない夜を過ごしたとのことです。17日午前3時頃、ようやく雨は小降りになったものの、外はひどい状況で、声も出なかったそうです。

水害前の落合部落
今回の配布資料にもお付けした、樽井さん作成、水害前の落合集落の図。
赤い色は水害で流されてしまった家屋です。

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樽井さんらが逃げ込んで2階で九死に一生をえた渡部利美さん宅の壁には当時の濁流のはねた痕跡が今も残ります。

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かつての旅籠、橋本屋。
この橋本屋と今はありませんが向かいにあった吉野屋の2軒の宿が、西方方面からここを通って大山祇神社へ行く参詣者の常宿となっていたそうです。

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そして、落合集落のすぐ南、宮林にある新パワースポットへ。

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宮林石ぼっこ(別名:狸穴)
高刀山(たかつとやま:560m)が慶長16年(1611)の大地震の際、山体崩壊をおこし、そのとき崩れ堆積した岩々が露出している場所があります。いわゆる「風穴」となっていて、夏は涼風、冬は温風が穴の底から吹き、特に冬はここだけ雪が積もらず、石は苔むしていて独特の「空気感」を醸し出しています。
周辺には石祠がいくつかあり、石灯籠には「文化9歳(1812)」の文字がみえます。

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この時期は風穴から出る風は外気温より暖かく、条件そろえば白い煙のように見えます。

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坂内家の墓地
元のお墓は今より川側の平場にあったのですが、そこをズリ(鉱石中に含まれる経済的に無価値の岩石)置き場にするため、坂内本家・分家の許可を得て、昭和15年に坂内家、お寺の住職の立会いで無縁墓地も含めてすべて掘り起し、現在の場所に坂内本家、坂内第一分家、第二分家、無縁墓に分けて埋骨しました。
樽井さんは当時小学校5,6年生。興味本位でその模様を見に行ったそうです。

鉱山王・坂内理三郎(ばんないりさぶろう)
初代坂内理三郎は元禄3年1690年金山町玉梨の坂内家の第5代新五右衛門の弟として生まれ、家庭貧困につき兄新五右衛門と各地で奉公と勉学に励み、二十四歳にて西会津町黒沢銅山に出稼ぎ、めきめき才能を現し、鉱山王として富を築きあげました。これが江戸中期の享保年間、会津領内の野澤組黒沢分鈍子岩鉱山でも銅鉱発見し、一大成功者となりました。
(遺書【のこしがき】)の中から坂内理三郎の鉱山稼働を列記すると以下のようになります。
・享保6年(1721)坂内理三郎、兄新五衛門と黒沢村鈍子岩鉱山で働き始める。
・享保11年(1726)坂内理三郎兄弟、会津藩江戸屋敷に赴き、金山奉行長坂平左衛門に願い出て、銅板10万3500枚を一両につき8貫(1貫=3.75㎏)200匁(もんめ。1匁=3.75g)で請負い、100両受け取る。
・享保12年(1727)理三郎会津に下り、金山役所より金子50両と米150俵を受け取り、日向倉銅山で稼ぐ。
・享保14年(1729)理三郎銅板10万3500枚を会津藩に代金1150両を受け取る。

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「会津磐梯山」は「会津坂内さん」
かの有名な民謡「会津磐梯山」はそのすべての歌詞を知らなくても、歌い出しのメロディーと歌詞「会津磐梯山は 宝の山よ 笹に黄金が エーまた成り下がる」はほとんどの方が口ずさむことができると思います。
この歌のおかげで「磐梯山」=「宝の山」というイメージができあがっていると思いますが、しかし。。。大正5年発行の 福島縣地誌には
「磐梯山は病悩山と云ひて魔魅住み、往々附近村落に祟りをなしたりと云うに又斯かる變災ありしかば人民益々憂慮してその堵に安んずること能はざりき」
とあり、1888年には大噴火、400人以上の命を奪う大災害となりました。つまり「災いの山」でありこそすれ、「宝の山」のイメージとはちょっと違いますよね。
その「謎」をとく鍵がなんと黒沢にあるのです。
鈴木喜市著「会津雑記録」からその部分を転載します。
「野沢の南、大久保神社から山越しで柳津に行く途中に黒沢と言う部落がある。この地の銚子岩というところに銅の露頭を発見しで開発に着手し、黒沢金山一帯の支配者加賀茂肋より独立した坂内某が、罪あって三宅島に遠島されたそうだ。その弟坂内理三郎がこれを引継いでから躍進著しく、付近の銅山を合わせて支配することとなった。
 坂内理三郎は日の出の勢いで七つの土蔵を作り、会津一の金持ちとなり、藩に御用金の用立てをしておったとのことである。また江戸三田の会津候に銅瓦五十万三千枚を献じたそうだ。会津候の上屋敷を人よんで銅(アカガネ〉御殿といっておったそうだ。
 黒沢鉱山は銅と金が盛んに出て、金も笹の間に露見しておったので誰が歌ったか玄女(如)節に「会津坂内さん宝の山よ笹に黄金がなりさがる」と歌われ、その歌が世の中に広がり、会津坂内さんが盛んに歌われるようになったのである。
何時の時代か、確か明治時代であろう。「会津磐梯山宝の山よ 笹に黄金がなりさがる」 となってしまった。その歌が全国的になって、津々浦々まで歌われるようになったのである。
 敢えて会津坂内さんを固持するわけでもないが、昔は「会津坂内さん宝の山よ」であったと言うことである。」
 つまり、「会津磐梯山」は本当は「会津坂内さん」なのです。

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大成坑跡
300年続いた大成坑は鈍子岩鉱山の大動脈的な存在であり、坑夫の出入り、坑内物資の運搬、鉱石の運搬(1tトロッコ)など様々な役割を持つ一大坑道でした。坑道300mの地点にここまでは出入り自由の坑内見張所があって、働く人たちの憩いの場所でもありました。
ここでは朝、昼、夜と三交替で働きました。坑道は大きな落盤もなく、見張所は今も昔のまま残っていると思われます。

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選鉱場跡
チラシでは「西会津のマチュピチュ」と表現しましたが、そう見える段々の人工構造物は、大成坑内からトロッコで運ばれた鉱石を
①ウィンチで最上部へ揚げ、②クラッシャーで砕石、③鉄ボールミキサーにてさらに砂状に。④振動板に流し、⑤ここで鉱石とズリを分離するため、水と青酸カリ、硫酸銅、石灰、砂状になった鉱石等を混合、泡状に流しながら分離します。ちなみに樽井さんは実際にここで働いていました。

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スタッフ樋口さん作、選鉱場図解。

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最上部、この穴にウィンチが設置され、下から鉱物をトロッコで揚げていたそうです。そのウィンチを操作していたのが樽井さんです。

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鈍子岩鉱山
往時の黒沢金山地区では、青銅の釜床が建ち並び、大量の銅を吹きたてたと伝わります。
近世、昭和16年には軍国主義にのり、軍事産業の指定を受け、兵役につかない男子を強制雇用し稼働しました。
日本鉱業など中央資本に鉱区権が移ってからも大々的に稼働し続け、隆盛を誇りました。一時期は400名ほどの人々が働いていましたが、戦後、昭和21年10月に閉山となりました。

黒沢鉱山見取り図
これも樽井さん作、鉱山見取り図。

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火薬庫
ここではかつてダイナマイト、電管、導火線、火薬、青酸カリ、硫酸銅などを保管していた場所で、扱っていたモノがモノだけに見張りが厳しかったとのことです。
もちろん、今はありません。
今回はこの穴に参加者のみなさんにはろうそくを持って入っていただくことにしました。そして中には。。。

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鈍子岩や五万銅などの黒沢鉱山でとれた鉱石を展示。

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坂内鉱山の秘伝目薬
坂内鉱山にはその岩から精製される妙薬があったそうです。明治15年、自由民権活動家が暴漢に襲われ目に重傷を負ったとき、坂内代五郎が蛤の殻に入った薄紅色の薬を持ってかけつけ塗ったところ大事に至らずに済んだと伝わります。ただれ眼、鳥目、血止めにも効能があったとされるその薬は、鈍子岩からとれる硫酸亜鉛を精製したものらしいですが、その秘伝的な精製法を知るものはいなくなってしまいました。

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昭和31年の水害で流され、その後奇跡的に見つかった坂内観音堂にあった仏像。

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そして、、、スタッフ樋口さんが徹夜で準備した「洞窟お茶会」。

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この火薬庫で第1日目の行程無事終了。


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そして、この日の宿泊場所、ロータスインのコテージへ。
みなさん温泉で汗を流し、管理棟で交流会開始。

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乾杯前に、長谷川恵一さんによる謡曲披露。

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知ってる人も知らない人も、みんなで会津磐梯山を踊りました。

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一次会は盛況の中、お開きとなり、スタッフ部屋に場所を移し、二次会開始。
盛り上がりすぎて日付替わってかなりの先まで行きました(苦笑)。

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第2日目の模様へ続きます~。

西会津ぐるっと山ネットワーク、木地夜鷹山登山 - 2016.11.10 Thu

さる10月23日、西会津ぐるっと山ネットワーク主催(共催:にしあいづ観光交流協会)の第1回山イベント(こちらをクリック)木地夜鷹山登山が行われました。
参加者は18名、お天気はあいにくの雨でしたが、容易に入れない町境の秘境を参加者は楽しんでおられました。

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黒沢山域の山を知り尽くした渡部謙一郎氏の説明に耳を傾ける。

②-001
途中5か所の川渡渉があり、長くつは必須アイテム

③-001
.雨で滑る沢を注意深く歩を進める

④-001
サルナシの実を見つけ、コクのある甘い味を楽しむ

⑤-001
雨の百戸沼。奥にかすんで見える山が木地夜鷹山

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木地夜鷹山へは明るいブナ林を登る

⑦-001
木地夜鷹山山頂で記念写真。残念ながら雨で山頂からの展望はなし

⑧-001
ブナ林の中を下る参加者。雨の中でも気分は爽快

次回の木地夜鷹山登山は、来年の春、ブナの新緑の時期5月初めに予定しています。

また、西会津はぐるっと山に囲まれた町。そこには個性豊かな山と歴史に彩られた峠が数多く存在します。その中から13山と8つの峠を「西会津十三名山と八峠」として選定しました。

その発表会を12月に行います。

西会津十三名山と八峠 選定発表会

日 時 平成28年12月11日(日)午前9時
場 所 道の駅「よりっせ」2階研修室
参加費 無料

第1部 「西会津十三名山と八峠」選定発表
第2部 記念講演「西会津山岳 里山の魅力を訪ねて」
       講師:豊島洋一氏(公益社団法人「日本山岳会」永年会員
       西会津町下野尻在住・日本300名山完全踏破(平成28年7月)


フライヤーができたらまた詳しくご案内します。
みなさん、奮ってご参加ください。

石川暎作の碑 移設記念の会 11/23 - 2016.11.07 Mon


今朝の福島民報に大きく載せていただきました。

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西会津町野沢に生まれた石川暎作(1858-1886)は、アダム・スミスの『富国論』やヘンリー・G・ボーンの『泰西政事類典』を翻訳し、また、女子教育に力を尽くし明治女学校の開設、『女学雑誌』の発刊を提唱、そして同じく西会津町野沢出身の渡部鼎とともに婦人束髪運動を展開し、女性の権利獲得運動の旗手として活躍した人物です。

 石川暎作は28歳を前にして病により早世し、翌1887年4月、暎作を慕う人々によって「石川暎作君碑」が建てられました。以来125年間谷中にありましたが、東京都の墓地公園化に伴う整備で、危うく破砕されそうなところを、石川暎作のご子孫の方々が中心となって「『石川暎作碑』保存有志の会」を立ち上げ、西会津町への移設へ尽力されてきました。

「仮」ではあるものの、このたび野沢の真ん中にある「ふるさと自慢館」の裏庭に移設される運びとなり、その除幕式を行うとともに田﨑公司先生による石川暎作についての講演会を行います。

その功績は偉大でありながら、あまり知られていない石川暎作。
石川暎作のことをよく知るいいチャンスです。
ふるってご参加ください。

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第31回西会津ふるさとまつりが開催されました。 - 2016.11.04 Fri


去る10月29日~30日にかけて西会津町では、
西会津ふるさとまつりが開催されました!

初日は、生憎の天候で雨と強風で冷え込みが激しく、来場してくださった方もスタッフも寒さに震えました。
温かい飲み物や食べ物があっという間に売り切れてました。

初日とは打って変わって、2日目は風も納まり快晴!!!
絶好のイベント日和となりました。

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どこのお店も行列で大変賑わっていました!!
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今年、初の試みとなる「バケツ肉まつり」も大好評でした!
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通常サイズではなく、ミニバケツに味付けされた豚肉+野菜をBBQしてその場で食べられる!
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実際に「バケツ肉まつり」を楽しんでいるお客様に写真だけ撮らせていただきました。
とってもいい香りで美味しそうでした~★
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ビッグテントの下も満席状態で賑わっていました!
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完成度の高いかかしも2日目には雨除けのビニール袋も外され、綺麗に写真撮れました。
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この表情とかほんとにすごい!!!
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グリーンステージ前にも、たくさんのお客様が訪れて福島ゆかりのアーティストによるLIVEを楽しんでいました♪
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体験型のワークショップコーナーでは、大人も子どもも楽しんでいました。
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西会津町では2月11日~12日にかけて、雪国まつりを開催予定☆
様々なイベントや企画を通して、楽しんでいただけるように準備していますのでお楽しみに!!!

ご来場いただきました皆様に御礼申し上げます。

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にしあいづ観光交流協会

Author:にしあいづ観光交流協会
〒969-4406 福島県耶麻郡西会津町野沢字下條乙1969-26 道の駅よりっせ内
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FAX:0241-45-3102
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