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2017-06

日本遺産 認定証到着 - 2016.08.18 Thu

4月に日本遺産に認定された「会津の三十三観音巡り」。
その認定証が届きました。

認定内容等、詳しくは→こちらをクリック

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西会津町でも今年は奥川七観音ウォークを開催し、来年以降に新郷六観音ウォーク、さらには西会津三十三観音を設定、整備できればと思っています。

野尻のお宝拝見 その2 - 2016.07.27 Wed

お宝拝見 その2は、つい先週末にご紹介いただき、善は急げとすぐに連絡してうかがった下野尻の三留さんのコレクション。

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昭和30年代の下野尻宿の様子がいきいきと伝わってくる写真、49号の車トンネルができたあと、昭和49年の国道側からみた下野尻。
どれも興味深いです。

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また、特に目を奪われたのが、上野尻発電所のダム建設の写真。
いや―足場とかは当時はすべて木で組んでいるんですね。

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人が映っているので、サイズ感がわかります。
なんだかピラミッド建設ってこんなだったんじゃないか、なんて想像しちゃいました(笑)。


素晴らしい!
昭和30年代の下野尻の祭礼の写真。
沿道の家は茅葺、道路の高さも今より低く、当時の様子がよくわかります。

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このあとの4枚は昭和49年に撮影された車トンネル手前の国道付近から野尻方面を見た写真です。
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当時は今みたいに樹木が生い茂っていなくて、見通しがいいですね。

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左隅に今は廃墟となっているドライブイン?
区画整理前の棚田の様子がわかります。 奥に飯豊連峰。

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右上に須刈岳が。
山頂の木は当時特徴的だったそうです。
実は今は目立たないものの、これらの木は健在で、周囲の木が生い茂って目立たなくなっただけだったりします。

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国道から下野尻方面。
近々、現在のこれらの場所を見つけて写真を撮ってきて、対比してみる予定です。


三留さんからは公開OK、町の観光に有効利用してほしいとのありがたいお言葉をいただきました。

今回は街道からみ、そして個人的な興味で発電所建設の写真をお借りしてきました。
パネルにして何かの機会に展示公開してみたいですね。


野尻のお宝拝見 その1 - 2016.07.26 Tue

西会津にはまだまだ埋もれしまっていて日の目を見ない「お宝」が眠っているはずだ!と常に住民の方々に情報提供をお願いしている毎日です。
そんななか先日、以前大正初期の車峠の茶屋の写真を送ってくださった上野尻の土田さんから、それ以外にも面白いものあるとのお話をいただき、お邪魔してきました。



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「足で歩いた伊勢参り」というタイトルの長いポスター。
中央の地図は復刻版の近年の街道絵図ですが、それにこの時辿ったルートが書き込まれ、そのまわりに実際の道中記が配されています。
野尻から、越後街道、白河街道、奥州道中を通って江戸へ。
そこから東海道、伊勢本街道、熊野古道、船で四国へ渡り金毘羅詣り、帰路は琵琶湖から北陸、三国街道で越後経由で戻ってきていました。
これ自体でもう展示できそうで、ふるさと自慢館あたりで公開してもらえないか交渉してみたいですね。

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私が気になったのは、その「道中記」。
原本がありました。

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講で行った仲間の名前からはじまり、内容にはいつ、どこを通ってどこで泊まって宿がいくらだったかとか、そういったことが書かれています。

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横浜では乗ったのか見たのか鉄道の絵も。

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その他にも、まさに戦時中のプロパガンダとなった「写真週報」も全巻揃っていて、今度時間があるときにじっくり見せていただこうと思いました。

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あとは車峠で茶屋を営んでいた方の親族等を写真で確認する作業。
まだご存命の方もいらっしゃるそうで、お話を聞ければ何か車峠についてわかるかもしれません。

アーカイブ作業、これからも頑張っていきたいと思います。

その2に続きます。

西会津の巨人たち - 2015.04.02 Thu

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旧越後街道野澤宿のほぼ中央、江戸時代末期まで修験道の道場であった大正院があった場所にある「ふるさと自慢館」へ。
ここでは西会津町が誇る類稀な歴史・文化・偉人が、パネルや歴史的資料とともにわかりやすく紹介されています。

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2階では、この後書きます東北の松下村塾とまでいわれた研幾堂(けんきどう)の輩出した、歴史に名を刻んだ「研幾堂5人衆」についてパネル等で詳しく解説されています。

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そしてふるさと自慢館の道路挟んだ向かい側にある小嶋忠八生家へ。

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「小嶋忠八」
1856年野沢村生まれ。自由民権運動で活躍後は県会議員や村長をつとめ、電報局を誘致したり、養蚕講習所を開き地域の殖産興業に尽力するなど、野澤の発展に貢献しました。

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子孫である伊藤氏に、捕縛にまつわるエピソードなど、いろんな貴重なお話をうかがいました。

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東北の松下村塾といわれた研幾堂(けんきどう)は、建物は残っていませんが、現在の「朱泥庵(しゅでいあん)」というラーメン屋&民宿のあるこのへんにありました。

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渡部思斎(しさい)の「研幾堂医院」の看板は今も残っており、わざわざ奥から出してきてくださいました。

「渡部思斎」
1832年、野沢生まれ。藩校日新館で医学を学び、やがて野澤で漢方医を開業しました。
その後、私塾「研幾堂」を開設し、法政、経済、文学、医学の4科目を近隣の子弟に教えました。
思斎は喜多方事件に関する刑罰はなく、会津の初期民権運動の高揚推進に尽力した人、多くの素晴らしい門弟を育てた人として知られています。

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研幾堂は残っていませんが、裏道側に当時の病院と自宅はそのまま残っています。

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ここはあの野口英世の手を手術したお医者さん、渡部鼎の生家でもあります。

「渡部鼎」
1858年野澤生まれ。渡部思斎の長男で、1878年に軍医として西南戦争に従軍、その後渡米し、明治20年サンフランシスコで開業医となります。1890年に父思斎死去のため帰郷、若松に「会陽医院」を開業、野口英世の左手を手術し、その後彼を書生として指導したことは有名です。

実は野口英世は野澤に金策に何度も訪れており、鼎が従軍して留守中時の会陽医院の維持と、英世のアメリカ留学の援助をしたのは野澤の人々だったのです。

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西会津小学校校庭内に、渡部思斎の銘碑が立ってます。

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「誨人不倦」(かいじんふけん)
「誨」は教えること、「倦」は飽きること、の意なので、意味は「人を教え導いて、飽きることはない」

塾生が大正10年に旧野澤町役場に建立、役場が公民館に建て替えられる際に現在の小学校校庭に移転したそうです。

碑の最後には
「阿賀之川 混混不盡 飯豊之山 峩峩以嶙 山峙水流
 遺澤弗泯 玆懐伊人 百世規準」
としめられています。
つまり
阿賀野川はこんこんと流れて尽きることがない。
飯豊山は幾重にも重なりそびえている。
山々が屹立し、清き流れはとうとうと。
あなたの残した恩沢はそんな山や川と同じく、ずっと無くなることはない。
あなたは永く人々の模範となる人だった。
と。



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そして、西会津の銘酒、栄川酒造へ。
ここは石川暎作の生家です。

「石川暎作」
1858年野澤生まれ。福沢諭吉の慶応義塾で学び、女性の洋髪化など、黎明期日本の教育と文化に大きな足跡を残しました。なにより大きな功績が、あのアダムスミスの「国富論」の翻訳です。

実は日本で初めて束髪を結ったのは、前述の渡部鼎の妻・幸子と石川暎作の妻・ろく子で、野澤は美容院(パーマ屋)発祥の地なんだそうです。
知らなかったですね~。

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期待通り、試飲を(笑)。
惜しみなくついでくださるし、おいしすぎて「試飲」どころか、「痛飲」しそうになりました(苦笑)。

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なぜ、ここで「石田三成」なのか。。。その理由はもう少し下へ↓↓

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これが石川暎作の写真です。暎作は15歳まで学業の傍らこの地で酒造に従事したそうです。

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その石川暎作の写真のとなりにはあのよく見る「石田三成」の自画像が。
実は栄川酒造の初代は、大阪夏の陣の後に野澤へ移り住んだ三成の直系、大阪落人の石田興一左衛門重友という人だそうで、三代市十郎友治のときに会津松平家に遠慮して、石田の姓を石川に改め、会津藩より酒箒(さけぼうき:酒造免許の意)を得て、以降現在十五代続いているとのこと。

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そんなわけで、石川暎作の訳本「冨國論」と、ご先祖「石田三成」にちなんだ名を冠する、栄川(さかえがわ)酒造の誇る大吟醸酒。

栄川酒造(若松の同じ漢字の酒造会社「えいせん」ではありません。こちらは「さかえがわ」です。)の詳細を知りたい方は→こちらをクリック


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山口千代作生家。

「山口千代作」
1848年西会津町森野村生まれ。少年時代、前述の渡部思斎の研幾堂で漢学を学び、24歳で森野村戸長に。1878年には喜多方に政治結社愛身社を設立、運動の重要なメンバーとなりました。1890年に衆院選出馬、当選して会津初の衆議院議員となりました。のちに政治から経済界のほうへ転身、製糸場を開設して、地域の殖産興業に尽力し、晩年は北海道に渡り、さらには樺太でも事業を計画していましたが、その半ばで倒れました。

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糠塚山にある山口家のお墓の中に、千代作の墓もあります。

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糠塚山はそれ自体が古墳ではないかと言われる小高い丘で、山口家の墓をさらにちょっと登ったところに「梧堂山口君碑」があります。

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「梧堂山口君碑」
山口千代作は衆議院議員のときに、岩越鉄道敷設に尽力しました。
その努力が結んで郡山・新津間が全通したのは大正3年11月のことでした。
これが現在の磐越西線の前身です。
この碑は磐越西線を見下ろす位置にたたずんでいます。


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