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2017-10

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7/29九才坂峠・目指岳トレック 7/30男滝女滝シャワーウォーク - 2017.07.04 Tue

西会津ぐるっと山ネットワーク(山ネット)とにしあいづ観光交流協会のコラボ企画!

2日連続で西会津の自然を満喫できるイベントを企画しました。

初日は西会津八峠のひとつ「九才坂峠」と西会津十三名山のひとつ「目指岳」の両方を味わえるトレッキング。
2日目は昨年大好評だった、西会津最後の秘境「男滝・女滝(おだき・めだき)」の絶景を堪能するシャワーウォーク。

九才坂・目指岳トレックのほうが 主催:山ネット 共催:にしあいづ観光交流協会
男滝・女滝シャワーウォークのほうが 主催:にしあいづ観光交流協会 共催:山ネット 後援:西会津町 です。

ダブルエントリーで、参加費3500円のところを3000円に。500円もお得になります!

もちろんどちらかひとつのご参加も大歓迎です。
ダブル参加で、その日西会津宿泊希望の方が多ければ夜は交流会開催も検討中です。
よかったらぜひ両方エントリーで!

お申し込み・お問い合わせはどちらのイベントも 
にしあいづ観光交流協会(担当:堀口) 
TEL:0241-48-1666 E-mail:nishiaizu-kanko@nct.ne.jp まで。



各イベント詳細

弘法大師伝説と高野槇北限の地モニタリングツアー
九才坂峠と目指岳トレッキング

1.集合日時 7月29日(土)午前8時

2.集合場所 西会津町役場駐車場

3.参加費  一人2,000円(バス代、保険料、ガイド料込) 要予約
 昼食・飲み物は参加者個人準備


4.募集人数 20名

5.宿 泊  翌日の「男滝・女滝シャワーウォーク」に参加される方で、町内での宿泊を希望される方は、旅館又は農家民泊を紹介しますので、各自個人で申し込んでください。(旅行業法)宿泊費は個人負担となります。

6.ガイド ・九才坂峠・弘法岩屋等 ⇒ 田崎 敬修 氏(西会津ガイドの会会長)
・目指岳・植生等    ⇒ 斎藤 和則 氏(西会津山ネット副代表)

7.コース及び時間目安
・受け付け      7:30~8:00
・開会式  8:00~8:10 (マイクロバス乗車・移動)
・土井集落 着  9:20 (準備・ストレッチ体操)
・トレッキング開始  9:30
・九才坂峠 着 10:40 (休憩・峠物語ガイド)
 「西会津十三名山と八峠」選定
・目指岳登山開始 11:00
・目指岳山頂 着 11:40 (昼食・ガイド)
「西会津十三名山と八峠」選定
・目指岳下山 12:10
・九才坂峠 着 12:40
・九才坂峠 発 12:50
・ヤキソネ(大師御休所)13:00 (休息・ガイド)*濡れ時転倒注意
・ヤキソネ 発 13:15
・安座(水沢)集落 着 13:50
・弘法岩屋 14:20 (ガイド)
・車道着後バス乗車 14:50
・安座集会所前下車 14:55 (宮ヶ岳・竜ヶ岳伝説ガイド)
・バス乗車・移動 15:20
・役場裏駐車場 15:30 (解散)

8. 事故に対する補償はこちらで加入する傷害保険の範囲内とし、それ以上の責任は負いかねます。各自、安全行動に心がけてください。

主催:西会津ぐるっと山ネットワーク  共催:にしあいづ観光交流協会 


西会津最後の秘境へ
第2回男滝・女滝シャワーウォーク
かつての修験の場、鬼光頭川源流の名瀑、男滝・女滝を目指す沢登りウォーキング。

1.日時 7/30(日)  西会津町役場駐車場 9:00集合 
募集人員20名(要予約) 参加費1,500円(ガイド料、保険料)  昼食持参


2.コース時間目安
受け付け             8:30~9:00(開会式9:00~10)
バスで熊沢おんば様入口へ
沢歩きスタート 9:40
沢通しにジャブジャブ歩いていく
巻き道入口            10:40
男滝(昼食)           12:00~30
女滝               12:45~55
巻き道入口戻り          13:35
小さな滝遊び           13:40~14:10
おんば様入口           15:00
バス乗車
西会津町役場駐車場        15:30 着 解散

※昼食持参 濡れる前提の服装、足回りは沢登り用シューズか運動靴(長靴不可)
事故に対する補償はこちらで加入する傷害保険の範囲内とし、それ以上の責任は負いかねます。各自、安全行動に心がけてください。

主催:にしあいづ観光交流協会  共催:西会津ぐるっと山ネットワーク
後援:西会津町



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会津街道探索ウォークその2(2016.6.11-12)  1日目  - 2017.06.30 Fri

「いまさらなんですが、、、、昨年5回シリーズで開催した会津街道探索ウォークシリーズ。
フェイスブックの方へは速報版を掲載しましたが、しっかりした報告はまだでした。
ということで、ブログの方へ詳細を載せていこうと思います。よろしくお願いします。」

と、書いて第1回目の報告を書いてからもうすぐ半年。。。
「忙しい」と言い訳しつつ、途切れてしまって申し訳ありませんでした。
第2回目以降の記事がみつけられない、とお問い合わせをいただき、「すいません、書いてないんです」、と(苦笑)。

ちょっとだけ時間とれたので、第2回の初日の模様をアップします。


会津街道探索ウォークその2  2016.6.11-12
~かつての街道随一の難所諏訪峠越え、そして街道最大の宿場、津川宿を巡る旅~

第1日 新谷~行地~諏訪峠~柳新田~角島(約8.5km)

第2回のスタートは、前回一回目のゴール旧新谷木橋跡北詰の対岸、南詰からです。
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こちら側もまだ新谷(あらや)宿。全開に引き続き地元郷土史家、吉澤荘一さんにガイドしていただきました。

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CP51 安部理非内はじめ金上氏家臣の墓
第1回のラストに新宮氏の「首の宮」を見学した新谷寺。川を挟んだ反対側にあるここ南村にも新谷寺の墓地があり、その中に金上氏家臣の墓がいくつかあります。
またそれ以外にもあの誰でも知っている有名な戦国武将に関係する人物に関する碑文もあり。これについては吉澤さんに現場で解説していただきました。

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CP52 えのき様
新谷集落内にあるこの祠は「えのき様」と呼ばれ、榎がそばにあったのではないかと思われます。石碑の側面の文字は「暦」の字の上の文字が削れていて読めず、「明暦」か「宝暦」かわかりませんが、なんとなくうかんむりが読めるような気がするので、「宝暦」かもしれません。
ちなみに明暦だとすると1655~1657年、宝暦だとすると1751年~1763年です。

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CP53 旧道 腰掛場所跡
草倉道から現代の車道と交差し、左手に旧道が続いています。そこを降りるとすぐに大きな岩が右手にあり、腰掛けて休み場所になっていたとのこと。近くにはのどを潤す清水も湧いているとか。

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CP54 旧道 草倉道分岐
かつて阿賀町北東、旧鹿瀬町に、草倉鉱山という江戸時代会津藩随一といわれた銅山がありました。採掘は大正3年まで続き、一時は6000人もの人々が働いていたそうで、その富がのちに足尾銅山の開発につながったと言われています。
その草倉鉱山への道と越後街道の分岐がここになります。

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CP55 あねさ松跡
かつて胴回り7m以上もある松の巨木があったそうです。伝説によると、街道を歩いていた娘がここで襲われ、殺され埋められた場所で、あとでその場に松が植えられたとか。そのせいか、松のそばの田んぼをクワで耕していたら、髪の毛が巻き付いてきて恐ろしくなり、耕作をやめたとのこと。
 「貞子」を地で行くような怖い話ですね。実際この松が生えていたころには子供たちは大人から「その松を傷つけてはならん!血が出てくるぞ」と言われていたとか。

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行地に到着。
集会所をお借りして昼食。そしてここ行地の旅籠「藤屋」を営んでおられた方の末裔、阿部昭八さんにこの地域のお話をレクチャーしていただきました。

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CP56 旧山本屋
明治以後の建物ですが、格子など、往時の雰囲気を感じられる部分がそこここに残っています。敷地の前の街道沿いにはかつて巨木があったそうです。

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CP57 旅籠「藤屋」跡
「富士屋」と表記されている文献も多々あるのですが、初代~四代までは「藤屋」だったそうで、ここでは「藤屋」で表記しました。
戊辰の役の際、津川を突破できない山県有朋はこの藤屋に1か月近く宿営しました。そのせいか、村内の旅籠の多くは戊辰の役の際に焼失してしまったのですが、藤屋は戦禍をまぬがれていました。
しかし、2013年11月に火事で燃えてしまい、今はありません。築300年を越える古い建物だったそうで、残念でなりません。
ただ、山県らが宿営していた際に使った大きな釜は今も現存しています。
現在「藤屋」のご当主阿部さんは「山本屋」のほうへお住まいで、藤屋にあった驛所の看板など様々な古く貴重な物を見せていただきました。

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行地をあとにし、いよいよ諏訪峠へ向けて本格的な登り。

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CP58 行地一里塚
 二基一対の完形が現存する貴重な一里塚です。高さ3m、円周30m。

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CP59 中ノ茶屋跡
 諏訪峠の7合目付近、このあたりにふもとの人が商売を行っていた「中の茶屋」があったと言われています。ここは諏訪峠の茶屋と違い、冬場は閉鎖するような簡易的な施設だったようで、団子などを販売していたそうです。

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CP60 大ブナ           
街道沿いに樹齢300年以上の大きなブナの木があったのですが、つい最近倒れてしまって枯れた幹だけが残っています。
その昔、参勤交代の際、村上藩、新発田藩の殿様が、この木の下で休憩したと言われています。

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ついに諏訪峠が見えました。

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CP61 諏訪峠 松陰詩碑・井戸跡
諏訪峠は、かつて犬吠(いぬぼえ)峠といったそうです。応永9年(1402)の葦名氏VS新宮氏の戦の時に諏訪明神があらわれて、葦名の勝利を予言したという伝説があることから、葦名盛政は深くその神徳を信じ、信州諏訪から諏訪神社を勧請、この峠にも仮泊して一社を建てたことから、「諏訪峠」と呼ぶようになったそうです。
吉田松陰、十返舎一九、山県有朋などがこの諏訪峠を越えています。
松陰は嘉永5年(1852)2月8日、23歳のときにふもとの人の反対を押し切って真冬の諏訪峠を越えています。前日は焼山宿泊まり。この日津川を通って、雪の諏訪峠を越えて綱木まで30㎞くらい歩いています。すごいですね。
そしてこの諏訪峠を越えたときに松陰が詠んだ漢詩を刻んだ詩碑が建っています。その内容は「諏訪嶺は高く、雲を凌ぐほどで、よじ登らなければならないほどだ。弓のように背を曲げて上ると、腰も折れんばかり。胸も喘ぎ、肌も汗で濡れ、脚も疲れ切ってしまった。時々烈しい風が雲を巻くようにして起こり、髭は凍り、顔は叩かれ、肌には冷たい針が突き刺さる。」と。さしもの松陰もこの雪中軍は相当きつかったんですね。さらに、「やっと頂上を極め、まわりを見渡してみると、快感で下あごがはずれるほど大笑いした。…このような困難は未だかつて経験したことがない。困難が益々大きくなればなるほど、珍しいことに直面する。地元の人が盛んに雪中行の困難を言っていたが、困難の中に奇特を知ることが出来るのは誰だろうか。」と、結んでいます。この厳しい諏訪峠越えの経験が、その後松陰に大きな影響を与えたと言われています。
山県有朋は、戊辰の役の際、津川で会津軍が船を引き揚げてしまって阿賀川を渡れなかったので、船大工の手配のため二度もこの峠を越えて新発田へ向かっています。山県はこの遠征にあたり、師匠松陰の「東北遊日記」を熟読して、諏訪峠の状況を学んでいたと言われています。その後山県が書いた従軍記「越之山嵐」の中では、そのせいか「諏訪峠越えは思いのほか簡単だった」と記されています。
十返舎一九がこの峠を通ったのは、文化11年(1814)のことです。
 「この峠ほど高く難儀なるはなし、暑い時分でも峠は寒し」
 「茶屋2軒、砂糖餅と雑煮餅あり」
                              十返舎一九「諸国道中金の草鞋」

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諏訪神社跡

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CP62 茶屋清水
かつて茶屋で使われた井戸の跡とともに、会津街道を津川側に少し下ったところには、茶屋で使われたといわれている水が今もこんこんと出ています。

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これは結構貴重な場所で、後世になって自動車の通れる道を作った時に道を削ったおかげで、石畳の断面をみれるようになっています。

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見事な石畳群。
阿賀町の町史跡に指定されています。

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CP63 柳新田一里塚
柳新田の集落から1.5㎞ほど峠方面へのぼったところにこの一里塚はあります。一対しっかり残っているのはここと福取、そして行地ぐらいで、非常に貴重なもので、さらにこの柳新田のものは他に類を見ないほど巨大で立派です。

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行地から柳新田の間はとてもヤマビルが多く、時季的にも6月、参加者には事前にかなり脅し気味にアナウンスしていたのですが、当日も含めこの日の一週間前くらいからあまり雨が降らず、ほとんどと言っていいほど見られませんでした。
僕は学生時代から見飽きるほどつきあっているので(苦笑)、ほっとしていたのですが、参加者の数人から「怖いもの見たさでなんとかその姿だけでも見てみたい」と言われ、、、探しました。

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ヒルはすぐには吸い付かないので、手に乗せて観察することができます。
それも見たことない方々にはびっくりだったようで(笑)。

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CP64 柳新田
柳新田では、集落にお住いの青木一子さんに解説をしていただきました。

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CP65 切腹石
町文化財となっている5区間の石畳の、№3区間の北端(諏訪峠側)付近にある平らな岩で、柳新田の青木堅吾氏の話では、この石の上で切腹させられた人がいたと伝わります。

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第2回の初日はこの日の宿泊地、清川高原保養センター近くのこの地点でゴール。
温泉に入ってから、恒例の懇親会です。

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清川高原保養センターのメニューの中でイチオシ。
このカレイの唐揚げは骨まで食べれて美味です。

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乾杯の後、恒例の全員の自己紹介。
一周する頃に飲み放題プランのリミットが来るパターンでした(笑)。

2日目に続きます。


いいでの集い まだまだ参加者募集中です! - 2017.06.28 Wed

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昨日行われた第2回越後裏街道花立峠ウォークの写真をファイスブックのほうへアップしました。 - 2017.06.25 Sun

昨日行われた第2回越後裏街道花立峠ウォークの写真をファイスブックのほうへアップしました。
よかったらご覧ください↓
こちらをクリック



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にしあいづ観光交流協会

Author:にしあいづ観光交流協会
〒969-4406 福島県耶麻郡西会津町野沢字下條乙1969-26 道の駅よりっせ内
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FAX:0241-45-3102
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